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旅で出会った忘れられない人たち
Ayato
4年間のOL時代、仕事と人間関係のストレスで弱っていた私は、 このままここで年老いていくのはやだ!まだ若いんだし今しかできないことをしてや る!と、退職。
高校時代から地理が大好きで、大学もワンダーフォーゲル部に所属。 国内を中心に山に登り、旅しまくり、と放浪癖のあった私でしたが、 仕事していたら行くことがまずできないであろう南米とヨーロッパ周遊にターゲットを絞り、 退職の1年前から、ああでもないこうでもないと計画を練り、 記念すべき2001年、実行に移したのでした。
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Vol.5 Peter's big family 2002.6.9 update 
 アルプスを越え、何時間もかけてやっと辿り着いたBolzano駅で列車から降り立った時、ほっとすると同時に、それまで胸の中の大半を占めていた本当に会えるのかという不安に替わって、本当に来てしまったという感激と嬉しさで鼓動が早くなっていくのを私は感じていた。

 この5ヶ月前、南米チリのサンティアゴで知り合い、ヨーロッパ旅行の折には、きっと訪ねていくよと約束したイタリア人、ペーターとセルジオ。本当に私は彼らの住む町へやってきたのだ。サンティアゴで知り合って以来、Bolzano到着直前までEメールのやり取りを続け、お互いの予定を確認しながら、なんとか私はこの町へやってきた。  どきどきしながら駅の公衆電話からペーターのうちへ電話をした。しばらく鳴り続け、少し不安になりかけた時、すぐにそれと分かるペーターの声が聞こえた。

「ハロー?アイム ヤチヨ」と私が笑いを堪えながら言うと、かなりテンションの高い明るい声で、 「オラー!ヤチヨ?コモエスタス!」 とイタリア語でも英語でもなく、まるで、私たちが始めて出会ったサンティアゴにいるかと錯覚させるような陽気なスペイン語でペーターは答えた。

 今回、訪問が7月で、学生のセルジオは夏期休暇に入っていたが、休暇中のアルバイトが地元で見つからず、ウィーンへ行くことになり会うことは出来なかった。彼はEメールで会えなくて残念、ごめんね、またメールするからねとメッセージをよこしてくれていた。
30分後彼は彼の娘たちと車で現れた。彼の娘は16歳のベレーナと10歳のアンナ。彼女たちは案の定英語が話せなかった。私もイタリア語は挨拶くらいしか知らず、ペーターの通訳で話ができた。
 彼らの家へ向かいながら、私とペーターは再会を喜び、Bolzanoに着くまでのいろんな旅の話をした。アンナが不思議そうに、「どうして日本語を話さないの」と私に尋ねたので「だって私が日本語を話したらあなたのお父さんが分からないでしょ」と言って大笑いになってしまった。

 ペーターがすぐ近くに住んでいる彼のお姉さんの家に寄ると言うので私も一緒に行った。驚いたことに、彼の兄弟のほとんどは、お姉さんの家の隣近所に住んでいた。私たちが到着すると皆どこからともなく集まってきて、ちょっとしたパーティーが始まった。庭になっている桃の実の入った自家製ワインを飲み、スープとサラダとペペロンチーノを食べながらいろんなおしゃべりを楽しんだ。皆私のために英語を話そうと頑張ってくれるのだが、本当に英語を知らないらしい。話題が庭の桃の実に及んだときも、口々に「桃って英語でなんていうんだっけ?」「え〜と、え〜とねぇ・・・、あ〜ここまで出てるのに思い出せない!」とああでもないこうでもないと話合っているので、私が「ピーチ?」と遠慮がちに尋ねると、「あ〜そうそう!そうだった!」と本当に思い出せなかったのが悔しいといった様子なのだ。終始そんな感じだ。

 学校で2〜3年の英語教育は一応受けたようなのだが、何せ使わないし、メディアを通じて耳に入ることもあまりないのだろうか、ほとんど忘れたそうだ。日本じゃどこでも外来語で溢れかえっているというのに!イタリアのこういう様子を見ると、彼らの母国語に対する誇りにある種の尊敬を抱かずにいられない。そしてどうして日本人はこんなにも抵抗なく外来語を受け入れることが出来るんだろうと不思議に感じてしまう。イタリアで英語が分からない年配者はきっと日本以上だろう。
 途中、サンティアゴで仲良くなったセルジオの父親がやってきた。彼の瞳があまりにセルジオとそっくりなので、私は思わず吹き出してしまった。「あまりにそっくりだから」と謝ると、彼は「目から上がでしょ」と両手で自分の目から上を指した。「よく言われるんだよ」

 ヨーロッパの夏は日本以上に日が長い。私たちはすっかり日が暮れるまでおしゃべりし、家に帰ったのは10時ごろだった。 アンナとベレーナがベッドに入った後、ペーターと私はテラスでワインを飲みながらいろんなことをまた話し合った。彼の夢は、年金生活に入ったら夏のサンティアゴと夏のイタリアに半年ずつ交互に暮らすこと。彼は足が不自由なので、他の人より早く年金生活に入るらしい。そうすると、今サンティアゴに持っている家を改築して、それぞれの国のいい気候の時期だけを過ごしたいというのだ。夢を語る彼は、本当にサンティアゴが好きで好きでたまらない様子だった。そして逆に、ヤチヨの夢は?将来どうしたい?と尋ねられると、私は本当に困ってしまう。だって今はそれを見つけたくて旅しているようなものだから。帰国後の新生活、私はいったいどんなことを始めるんだろう。

 ペーターの家で過ごした日々はあっという間に終わり、私は出迎えられた時と同じように、3人に見送られてBolzano駅を出発した。 南米旅行中仲良くなった友人宅を本当に訪ね、その国の生活を体験できたことは本当にすばらしかった。私の世界観がまた大きく変わった。いろんな国の生活を見て初めて、日本について改めて考えることが出来る。日本での自分の生活はもちろん、言語、価値観、経済、社会、文化、民族・・・。いろんなことを。

帰国後、ペーターにお礼のEメールを送った。すぐに彼から返事が来た。 『・・・あなたがあの時一緒に食べたペペロンチーノの味が忘れられないと言ったように、私たちもあなたのこと忘れないよ。いつでも遊びにおいで。』


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