ハンブルグから夜行列車でスイスに入国。ハイジの村、マイエンフェルトには、日も昇りきったお昼前にやっと到着した。せっかく来たのだからハイジのハイキングコースは全て周ろうと、コインロッカーに荷物を預け身軽になった私は、地図を片手に軽やかな足取りで歩き出した。
ハイジの泉や100年前のハイジの生活を展示した家を見学し、途中スイスと言えばチーズかなと安易な理由でランチにチーズのパスタを食べ、モデルコースを順々に進んで行った。
やがてコースの分岐まで来ると、一般観光客が少なくなるハイキング健脚者向けコース、ハイジの山小屋へ向かって更に山道を歩き出した。天気は最高。歩きながら私は、遠く雪のついた美しいアルプスの風景に、旅の開放感と一人でここまで来たと言う満足感を噛締めていた。
ハイキングコースは思った以上に長く、急な道だった。強い日差しを気にして、私は旅の途中でなくしてしまったお気に入りの帽子のことを思った。いつまでもハイジの山小屋が見えて来ず、このまま進もうか戻ろうか迷いかけたとき、急に目の前にそれは現れた。
大喜びで小屋へ駆け寄ると、まるで本物のオンジとペーターのような2人が出迎えてくれた。アイスティーを一気に飲み干した私は、出迎えてくれた2人と、その側で一緒にお茶を飲んでいたおじさんと話す元気をやっと取り戻した。
小屋は私の期待を裏切らない、素敵な山小屋だった。もう1人のおじさんは麓でホテルをしているということだった。いろいろおしゃべりをしていた時、そのおじさんが、今夜の宿が決まっていないならうちへおいでと言ってくれた。毎日宿は飛び込みで決めていた私は、もちろんその日の宿もまだ決めていなかった。おじさんのホテルの宿泊料は、物価が高いといわれているスイスにしてはかなり良心的だった。
「40フランの部屋があるよ」
「え、ほんと?じゃあ、お願いしようかな」
「でも帰ってみないとその部屋が空いてるか分からなけどね」
しかし、新たに1軒1軒ホテルを訪ね歩く元気が残っていなかった私は、その部屋が空いてなくてもそれ以外の部屋が空いているならそれでかまわないからとお願いし、後で訪ねていく約束をし別れた。おじさんはまっすぐホテルへ戻り、その日の宿が決まった私はほっとして、さらにハイキングコースをぐるっと遠回りしてから帰ることにした。
のんびりのんびり歩いてホテルへ到着したのは、午後8時を少し過ぎた頃だった。夏のヨーロッパは日本と比べるとかなり日が長く、時間が遅くなってもあまり焦ることはない。私が庭を覗くと、先のおじさんがちょうど玄関から出てきた。私が来たよと微笑むと、おじいさんは、40フランの部屋はいっぱいで、60フランのツインルームしかないんだけどと申し訳なさそうな顔で笑って言った。60フランだって決して高額ではないし、今から別のホテルを探す元気もない。私はそれでいいからと60フランの部屋を見せてもらうことにした。それはかなり広く清潔で、とても感じのいい部屋だった。その部屋があまりに素敵だったので、私はほんとに60フランなのほんとに60フランでいいんだね、と何度も何度も確かめてしまった。
その部屋で快適な夜を過ごし、翌日朝食を済ませた後、チェックアウトしようと食堂横のカウンターでベルを鳴らした。奥さんが出てきた。前日のおじさんには会えないのか、もう一度お礼が言いたかったのにと少し残念な気持でいた私は、奥さんの「50フランです」という言葉を聞いてびっくりして顔を上げた。
「60フランって聞いたけど」
「ええ、でも50フランで結構ですよ」
おじさんは、何度も何度もほんとに60フランなの、60フランでいいんだね、と念を押していた私を心配して、おまけしてくれたのだった。私が大喜びしたのは言うまでもない。そしておじさんにもう一度会えないことを本当に残念に思った。奥さんにおじさんによろしく言ってねと何度も何度も頼み、ホテルを出た。おじさんの心遣いに心がほんわりしていくのを感じながら私は駅へ向かった。そして次のまだ見ぬ新しい出会いに、期待で胸を膨らませながら列車に乗りこんだ。