いよいよ明日日本へ帰るという日の午後、南米旅行最後の街サンティアゴで、予定通り博物館めぐりを終えた私は広場へ戻ってきた。広場にはたくさんの露店が並び、人々が行き交い、絵描きさんたちが絵を描きその作品を売っていた。まだホテルに戻るには早い時間だったので、そうだ、記念に似顔絵でも描いてもらおうと思った私は、絵描きさんたちの並んでいる方へ歩き出した。
顎ひげを生やしたパッチリした瞳のおじさんと目が合った。彼は私に描いてあげるよ、とにやっと笑って目で合図した。私は嬉しくなり、頷いて彼の前の椅子に腰掛けた。この出会いがこの後こんな素敵な出会いをもたらしてくれるなんて!もちろんこのときは全く想像もしなかったけれど、彼のお陰で私はとても素敵な友達が出来たのだ。
彼は1分で私の似顔絵を描き上げてしまった。しかし私はとても疲れていたので、このままここに座っていていいかと聞いた。日本人がいるとお客が集まるから大歓迎だよと彼は言った。彼は少しだけ英語が話せた。彼は私の似顔絵の隅に、Castillo(カスティーリョ)と書いた。彼の名だった。
お互いのたどたどしい英語で、彼の息子や仕事、日本の話をした。しばらく話していると、仕事帰りの彼の友達が次々にやってきた。私達はすぐ仲良くなり皆そこでおしゃべりした。そしてカスティーリョの仕事が終わるまで待って皆で飲もうよ、と言うことになった。私達はカフェでまた話しながらカスティーリョの仕事が終わるのを待った。
カスティーリョの仕事が終わると、私達はチーズとクラッカーと赤ワインを買い、カスティーリョの友人の1人、ペーターの家へ行った。彼はイタリアからの旅行者だったが、サンティアゴが大好きでイタリアから何度も通い、ついにはそこに家を買ってしまったということだった。家には彼の甥が待っていた。
私達は、深夜まで飲み、歌い、踊り、語り合った。治安を心配して全て事前に行程を組んでいた旅行で、まさかこんな交流があるなんて想像もしなかった私は、嬉しくて仕方なかった。エクアドルでのジャングルやクルージングのような数日間にわたるツアーと違い、チリでは毎日異なるツアーに参加していて、地元の人と話す機会などなかったからよけい感激も大きかった。旅行の2ヶ月前に少しだけ勉強したスペイン語がこの時もかなり役立った。たどたどしいスペイン語だったが、一緒に歌い踊るのに難しい表現なんて必要ない。そして私は年齢が近く、英語が話せるペーターの甥、セルジオと特に仲良くなった。
セルジオはとても日本に興味を持っていて、いろんな質問を私にした。その中には日本語でもどう答えていいか分からない難しいものもあった。改めて私は日本の事あんまり知らないんだと認識させられ、少し恥ずかしくなった。
そろそろパーティーもお開きという時になって、近々ヨーロッパへも旅行する予定のあった私が、どこへ行くかはまだ決めてないけどヨーロッパへも行くよ、と言うと、彼は目を輝かせながら是非イタリアへも寄りなよ、うちに泊まれるからと言ってくれた。実を言うと、ヨーロッパ旅行でイタリアへ寄るつもりはなかった。しかし、せっかく仲良くなったのにもうお別れかぁ、と名残惜しく思っていた私は、セルジオの言葉を聞いて、旅先で仲良くなった人の家を訪ねて行くなんてすごい!と急にイタリアへ行きたくなり、彼の言葉に甘え訪ねていくことを約束した。そして私達はアドレスを交換した。
翌日、セルジオはペーターと一緒に広場まで私を見送りに来てくれた。私達は、夏に今度はイタリアで会うことをもう一度約束し合い、握手した。そして私を乗せたタクシーは空港へと出発した。私は後ろを向いて手を振りつづけた。やがて彼らの姿が見えなくなると、前に向きなおり、前日のカスティーリョとの出会いからの出来事を順に思い起こした。たまたま目が合って絵を描いてもらった彼のお陰でこんな事になるなんて。カスティーリョとの出会いからペーター、セルジオへの出会い、そしてセルジオと仲良くなった事でイタリアへ行く事に決めたそのつながりに、カスティーリョに対する感謝と、その他にも言葉に表せない不思議な気持ちが込み上げてきた。
そんな気持ちと、今度イタリアでセルジオに会うんだという期待に胸を膨らませながら、帰ったら家族にこのすばらしい旅行について何から話そうかしらとまだ遠い日本へ思いを馳せた。